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ラウル・クタールとの訪問

米クライテリオン社のリー・クラインさんがポストしたラウル・クタールの回想を、ご本人の許諾を得て、以下に訳出します。

coutard先週、ラウル・クタールが亡くなったことを知り、我々は悲しみに打ちのめされた。私たちの技術監督リー・クラインがこの偉大なるシネマトグラファー(撮影監督)と仕事をした時の思い出を語ってくれる。

 

最初にラウル・クタールに会ったのは2002年の6月のことだ。僕はクライテリオンの数タイトルのリマスターのためにパリにいて、その中の一つがゴダールの『軽蔑』だった。僕たちはクタールに連絡を取って、彼が手がけた色彩について助言をしに来てくれないかと頼んだ。彼は現れてすぐに仕事にかかった。僕は、世界で最も偉大なシネマトグラファーの一人が、僕が彼の傑作の一つだと考えている作品について、一緒に仕事をしてくれているということに、畏れを抱いたものだった。

 

それは自分にとって最も楽な仕事というわけじゃなかった。僕はほとんどフランス語が話せなかったので、通訳に頼るしかなかったから。クタールは色調整についてカラリストと並んで、ここは色を沈ませようとか、少しコントラストを上げようとか指示を出し、『軽蔑』にデジタル時代の美しさと見やすさをもたらしてくれた。彼はとても速く、自信に満ち、的確だった。言葉の壁のせいで(あるいはそう思った僕の思い込みで……この件は後でまた!)、僕たちは多くのやりとりはしなかったものの、翻訳を通して撮影現場でのすごい話を沢山聞かせてもらった。彼がやらなくてはならなかったスクリーンの中で起こる多くの変化について、大いに得心するところがあった。

 

数年後、僕たちはクタールに、もういくつかの映画についてまたつき合ってくれないかと頼んだ。ひとつは『はなればなれに』で、もうひとつはコスタ=ガヴラスの『Z』。僕たちはエクレール社のラボで会ったのだが、そのスタジオはパリ郊外のひどい地域にあった。クタールはそこに行きたがらなかったし、僕たちもそこに行きたくなかった。ただ、コスタ=ガヴラスがそこでやりたがったのだ。そこで落ち合うことになったわけだが、もう思い出せないなんらかの理由でコスタ=ガヴラスが来られなくなって、『Z』は彼なしで仕上げなくてはならなくなった。僕はフランス語の出来る同僚と一緒にいて、彼女にスクリーンに映ってる青色がなんかおかしくないか?と話していた。クタールに僕の懸念を伝えてもらえるようにと。すると彼がゆっくりとこちらを振り向いて言ったんだ。”What don’t you like about it?”(それの何が気に入らないんだ?)って。僕はビックリしてしまった。だって彼は英語が喋れるなんて一言も言ってなかったんだから! それを境に全てが変わった。彼の英語に限界はあったけれど、僕はついに直接彼と話せるようになったんだ。

 

僕はクタールに一緒に仕事をするのが好きだった監督は?と聞いた。彼は言った。「みんな良かったよ。だけど、ゴダールだけは本当の天才だったな」。彼は『突然炎のごとく』や『アルファヴィル』を撮るのがどれほど素敵だったかを語ってくれた。一仕事が終わり、パリ中央に戻るタクシーを手配して、僕は一緒に写真を撮って貰ってもいいですかとお願いした。彼は「Yes」。僕たちは背景にエクレールのロゴが入るようにして、誰かに撮って貰ったんだ。彼が僕のカメラのその写真を見たいというので見せた。彼は一瞬その写真を検分し、僕を見上げて言った。「このジジイは誰だ?」。笑ったね。

左よりリー・クライン、ラウル・クタール、エグゼクティヴ・プロデューサーのフミコ・タカギ。

左よりリー・クライン、ラウル・クタール、エグゼクティヴ・プロデューサーのフミコ・タカギ。

*オリジナルの記事はこちらで読めます。

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