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ジョン・フランケンハイマーの才気がみなぎる傑作〜『大列車作戦』

大列車ポスター小ジョン・フランケンハイマー。いい名前だ。社会派の切り口でダイナミックな娯楽作を撮り上げる映像作家であり、とりわけ60年代~70年にかけての作品は、そのすべてが面白い。6月放送となる『大列車作戦』(64)も彼の代表作のひとつだが、未見の方は「こんな面白い映画を、どうして今まで観なかったのだろう」と膝を叩いて悔しがることだろう。

 

思えば1895年。12月25日。パリのカプシーヌ街に在るグラン・カフェ地階のサロン・ナンディアン(現ホテル・スクリーブ・パリ)で、「シネマトグラフ・リュミエール」という催しがあった。そのプログラムに並ぶのは、『工場の出口』『港を出る船』『トランプをする人たち』といったタイトルである。

 

そのうちのひとつ、『汽車の到着』は会場をもっとも騒然とさせた。場内が暗くなる。すると前方の白いスクリーンに蒸気機関車の姿が映り、客席方向に向かって走り出したのだ。観客は叫び声をあげて、椅子から転げ落ちるように汽車を避けようとしたという。

 

題名通りの短い実写フィルムであったが、これがフランスの写真技術者、ルイ&オーギュストのリュミエール兄弟が開発した投射式映写装置シネマトグラフによる初興行であり、映画が初披露された瞬間であった。そして映画の誕生を飾った蒸気機関車は、長い映画史の中でさまざまな役割を与えられながら登場し続けていくことになる。

 

蒸気機関車がもうひとりの主役となる『大列車作戦』の舞台が、映画誕生のフランスであること。これがとても感慨深い。機関車が動き出すと、見事に編集されたシークエンスのどのショットもひたすら前へと突き進む感覚を含み出す。物事の善し悪しにかかわらず、まるでコントロール不能の出来事によって押し流されていく感覚を与え始めるのだ。しかも機関車の走りっぷりが目覚ましく、『キートン将軍』(26/別題『キートンの大列車追跡』)を彷彿させるような映画的快感に満ち満ちているのである(※1)。サイレント映画をよく知るシネフィルならば、本作にサイレント活劇の動的リズムを体感できるはずだ。

 

(※1)キートン自身が最も愛した作品。グリフィスの『イントレランス』(16)、チャップリンの『黄金狂時代』(25)と並び称されるサイレント期の古典的名作。近年では『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)に、その影響をみることができる。

 

製作当時、フランケンハイマー、33歳。その才気を余すところなく解き放った傑作である。フランケンハイマーは大学卒業後に応召、空軍に入隊した。入隊するや映画部に配属され、少しずつハリウッドとの関係を深めていくことになる。この時期に映画撮影テクニックを体得したフランケンハイマーは、朝鮮戦争休戦後の53年に除隊、ハリウッドの門を叩いた(従軍時の撮影技術は、『大列車作戦』でも十二分に生かされている=後述)。

 

とはいえ不況にあえぐ映画業界に望む仕事はなく、やむなくテレビ界にその歩を進め、ニューヨークに戻ってCBSに入社。監督昇格と共にハリウッドに戻り、CBSテレビジョンシティで『プレイハウス90』(56~60/90分一話完結)の27エピソードを演出した。ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」をドラマ化したエピソードは(前・後編)、映画関係者からも高く評価され、いよいよ映画界への本格的な足がかりを掴むこととなる。

 

劇映画監督デビューは、CBS時代に手掛けた『孤独の青春』(57/未)。フランケンハイマーが26エピソードを監督した、CBS製作『クライマックス!』(55~56/60分一話完結)用に執筆されたもので、10代の少年と映画業界の父との関係を描いた愛憎劇だ。そのシナリオをRKOが買い取って映画用に改訂、RKO/ユニバーサル配給で公開された作品である。

 

CBS退社後に撮り上げた監督第2作『明日なき十代』(60)は、少年犯罪とその裁判の行方を描いた辛口な社会派ドラマであり、フランケンハイマーの出世作となった。主演のバート・ランカスターがこの若き才能を高く評価し、鳥類の世界的権威となった終身刑の男を描く実録ドラマ『終身犯』(61)、冷戦構造を軸に核の脅威を描いたポリティカル・サスペンス『5月の7日間』(63)、スカイダイビング・ショーに賭ける男たちをダイナミックに捉えた『さすらいの大空』(69)、そして『大列車作戦』でコンビを組むこととなる。

 

『大列車作戦』が公開された1964年は、東京オリンピック開催の年として象徴される。世界に目を向ければ、ブレジネフがソ連共産党第一書記として実権を握り、中華人民共和国では原爆実験が成功。そしてアメリカにとっては、ベトナム戦争への全面的介入が始まった年だ。とはいえこの時点ではアメリカの国力は充実しており、アメリカ映画界にとってもメジャー・スタジオの経済状態が改善されるなど、57年以来の興行収入の低落傾向から抜け出した年であった(※2)。

 

(※2)実際には、数年後に続出するメジャー会社と複合企業との合併に至る前の、小康期間に過ぎなかった。

 

日本での64年興行成績第1位は、洋画が『クレオパトラ』(監督ジョセフ・L・マンキウィッツ)、邦画が『東京オリンピック』(監督市川崑)。この年、フランケンハイマー監督作は『5月の7日間』と『大列車作戦』が公開されているが、『大列車作戦』は第8位にランクされている。映画鑑賞料=221円の時代に、2億2600万円の収入を上げている。(ちなみに大卒公務員の初任給最高額=1万9100円)。

 

『大列車作戦』の原作は、ナチス・ドイツによるフランス占領当時のジュ・ド・ポーム国立美術館長、名高きローズ・ヴァラン著「美術戦線」(原題Le Front De L’Art)。歴史的な美術品の数々をナチス・ドイツが略奪した事実を記したノンフィクションであるが、この中に「近代美術は堕落品だ」「破壊するべき」「高価な品は売却して軍事費にせよ」と独断したヒトラーの挿話が付記されており、その僅か3頁のエピソードが使われたのである。

 

そこにはこうも記載されている。「美術品を積んでいる列車や車両を誤爆しないように、レジスタンスに情報を流していた」「パリ解放前の1944年8月、美術品を運ぶ最後の列車を知り、レジスタンスに通知」「パリからの出発を防いだ」。

 

それらの記述を基に『ブルックリン横丁』(45)のフランク・デイヴィスと、『アルバレス・ケリー』(66)のフランクリン・コーエンが共同で脚本を執筆。監督には『奇跡の人』(62)で注目されたアーサー・ペンが指名されたが、撮影が始まって1日目で解雇となる(※3)。製作の権限を与えられていたランカスターによれば(※4)、「フランス人キャラクターのエピソードに時間を割くことに熱心で、脚本の90頁になってやっと列車が発車する。まともに映像化したら4時間もの映画になる」という理由によるものだ(※5)。

 

(※3)「ルネ・クレマンの『鉄路の闘い』(45)のようなセミドキュメンタリー・タッチを求めた」と後年ペンは答えている。大戦末期のフランスで起きた実話の映画化で、鉄道員たちによるレジスタンス活動とドイツ軍用列車による輸送阻止を描いた名作だ。

 

(※4)製作はTV畑のジュールス・ブリッケンだが、映画製作の経験に乏しかった。

 

(※5)「『山猫』(63)の興行的失敗を繰り返したくない」と語ったランカスターが求めたのは、万人が楽しめ、興行面での成功も見込める娯楽活劇であった。

 

大列車02

 

シナリオ・リライトは『荒野の七人』(60)『未知への飛行』(64)のウォルター・バーンスタインが担当。その執筆期間を利用して監督探しが始まるが、ランカスターは『5月の7日間』で組んだばかりのフランケンハイマーを強く推し、監督を依頼、作品の練り直しにかかった。フランケンハイマーに与えられた演出準備時間は2週間しかなかったが、ここで驚くべき才能を発揮することとなった。

 

「言ってみれば、ジョンは売春婦みたいなヤツさ。どんな映画でもやれる(監督できる)。しかも俺が望むことを、あいつは必ずやってくれるんだ」(ランカスター)

 

フランケンハイマーはバーンスタインと連絡を取り合い、物語を(ペンが求めた)芸術とそれに関わる人びとのドラマだけに収まらない、リアリズムを前面に押し出した速いテンポの脚本へと変更を加えた。目の肥えた観客にとっても、十分に満足のいく戦時活劇に仕立てようというのである(※6)。

 

(※6)映画にはバーンスタインの名前はクレジットされていない。アカデミー脚本賞候補にも挙がったが、ノミネートされたのはデイヴィスとコーエンのふたりであった。

 

『大列車作戦』のシナリオ初稿では、ドラマティックな味付けとしてふたりの男が設定された。略奪した美術品を持って、一途に自国に逃げ込もうとする独軍将校バルドハイム。そして、それを阻もうとする叩き上げのフランス国有鉄道の操車係長で、レジスタンスの一員ラビッシュである。フランケンハイマーが求めたリライト稿では、対立するふたりをより前面に押し出し、その性格描写に厚みと奥行きが加えられた。美術に対する審美眼と愛情を持ちながら、人間には美を見い出せないバルドハイム。作戦には懐疑的で、どんなに貴重な美術品よりも人命を大切に考えるラビッシュ。このふたりの対比が目覚ましい。

 

バルドハイムに扮したのはポール・スコフィールド。映画よりも舞台俳優としての国際的名声が高い、ローレンス・オリヴィエやリチャード・バートンと並び称される英国の名優だ。「脚本を読んで、故国に忠実であり、美に対して異常な執着心を持つバルドハイムに魅了された。私にとって舞台が第一だが、このような役ならまた映画に出演したいね」と語ったスコフィールドだが、本作に続いて出演した『わが命つきるとも』(66)ではアカデミー主演男優賞に輝くことになる。

 

大列車03

 

シナリオのリライトによって出演シーンが削られたのが、名花ジャンヌ・モローをはじめ、ミシェル・シモン(『素晴らしき放浪者』)、シュザンヌ・フロン(『赤い風車』)らフランス俳優たちだ。とはいえバーンスタインは巧妙に観せ場を残しながら、印象深いエピソードとして書き上げている。なかでも老機関士”パパ”ブルを演じたシモンは、持ち前のドラマティックな才能と喜劇的センスを十二分に発揮する機会を与えられた。

 

フロンが演じたのは前述のヴァラン女史(ヴィラールと改名)。ヴァラン女史と言えば、ベストセラー・ノンフィクション「ナチ略奪美術品を救え」を映画化した『ミケランジェロ・プロジェクト』(2013)を思い浮かべる方もいるだろう。ヴァラン女史をモデルにした学芸員クレール・シモーヌをケイト・ブランシェットが演じており、未見の方はこの機会にご覧いただきたいと思う(4月ブルーレイ登場)。

 

「私が手掛けた作品の中で難物はなにかと聞かれたら、『グラン・プリ』(66)と『大列車作戦』と答えるね。我々は『大列車作戦』をドラマティックなアドベンチャーにするように務めたんだ。しかし何より重点を置いたのは、映画に誰もを圧倒するリアリティーを盛ることだった」(フランケンハイマー)

 

この映画には大掛かりなスペクタクル・シーンが登場するが、特撮ショットはひとつもない。すべてが本物だ。ランカスターやシモンも機関車の操縦法を習得し、実際に運転している。これは機関士室が非常に手狭なため、本職の機関士をカメラフレームに収めずに撮影することが不可能であったためだ。とてもCGでは描けない重量感、空気感は観応えたっぷりで、大画面再生であればあるほどその醍醐味を味わえるはずだ。

 

撮影は全編フランスで行われ、フランケンハイマーにとっては初の海外ロケ作品だ。63年8月に開始。撮影監督は『ジャッカルの日』(73)のジャン・トゥルニエが担当し、64年2月初旬にセット撮影も終了している。この時点で重要な屋外シーンが残っていたが、冬枯れの風景で撮影するわけにいかず、撮影は6週間延期、早春に再開となった。

 

トゥルニエは次作『ロンドン・パリ大脱線』(64)の撮影に入らねばならず、残りの撮影は『史上最大の作戦』(62)でオスカーを受賞し、フランスでの撮影に精通するワルター・ウォティッツに託されることになった。前述したランカスターやシモンの(昼間の)運転場面のほか、前半のハイライトとなるヴェール操車場空爆シーンが撮影されている(同シークエンスのドラマ・パートは63年に撮影済み)。

 

とはいえ実在のヴェール操車場を破壊するわけにはいかず、ヴェール操車場と同じ施設を寂れたガルジャンビル操車場に建設。『風と共に去りぬ』(39)でアトランタ駅のコンテナ爆破と炎上シーンを担当した名特殊効果マン、リー・ザビッツの陣頭指揮による大爆撃シーンが撮影されている。この他にもザビッツは3台の機関車の激突シーンや、列車の脱線シーンを担当している。

 

「フランス当局は線路を壊し、ガルジャンビル操車場を作り替えたかったんだ。ところがその資金がないというので、代わりに爆破してあげたわけさ」(フランケンハイマー)

 

「ザビッツが担当した列車衝突の場面は、複数のカメラで同時撮影されたんだ。しかし半分以上が衝撃で破壊されたと聞いて、ガルジャンビルでは13台ものカメラを同時に回したのさ」(ウォティッツ)

 

ヴェールとガルジャンビルでのショットは巧みに編集されているが、ヴェールでの撮影ではフランケンハイマーが従軍時に習得した撮影手法の応用を発見することが出来よう。自らカメラを回すこともあるフランケンハイマーは、短焦点レンズ(広角ズームレンズ)を搭載した当時最新鋭のミッチェルS35R/マークⅡ(※7)を好んで採用している。構図やピント合わせに有利なレフレックスミラー式シャッターを内蔵、軽量化が図られたモデルだ。小型ショルダーマガジンだけでなく、スタンダードマガジンと400フィート大型マガジンが使用できる特徴を生かし、絶えずカメラを移動させながら長回しの撮影を敢行した。

 

フランケンハイマー作品のトレードマークでもある、被写界深度の深いディープフォーカス・ショットはここでも健在だ。奥行きの異なった場所で同時に起こる、多くの重要なアクション。観客に数多くの視点と選択肢を与えながら、戦場ドキュメンタリーをみるような緊迫感が高められていくのである。

 

(※7)ミッチェル製カメラは、従軍時からフランケンハイマーのスタンダード。ディープフォーカス撮影では絞りを絞り込む必要があるが、本機搭載の(任意にシャッタースピードが設定できる)バリアブルシャッター機能が重宝された。また本機ではより安定したフィルムの掻き落し機構を保持するため、2本構造の掻き落し爪に変更されている。

 

ディープフォーカスと広角レンズは切っても切れない関係にあるが、フランケンハイマーは全編を通じて多用、その妙味を余すところなく披露する。視野に入っている被写体同士の距離感、強化される人物同士の相互関係に注視されたい。さらにそこに深くかかわってくる、巧みな編集テクニックも興味深い。

 

『キャバレー』(72)でオスカー編集賞を受賞したデヴィッド・ブレサートンとフランケンハイマーが編集に携わっているが、本作においては編集だけに絞って語ることは極めて難しい。なぜならこの映画の編集は、流れるような動的ショット以外にも音響効果と呼応し合っており、物語の断片を語るためのものではないからだ。フランケンハイマーは編集を「コントロール不能の出来事によって押し流されていく時間」を凝縮する目的で使っており、サウンドトラックを連続性の装置として使用しているからだ。

 

実際、サウンドトラックが休まる時がない。とりわけ蒸気機関車が放つ機械音や走行音、汽笛や蒸気音、鉄道操車場の環境音は膨大な量の実音が収録されており、当時の貴重な「音」の記録映画としても高く評価されているのも頷けよう。さらにモーリス・ジャールのスコアが、巧みに絡み合ってくるタイミングの見事なこと。ジャールの作風から打楽器を欠かすことは出来ないが、本作でものっけから全開。抑揚に富んだパーカッシブな音彩が、ドラマのテンポと対位法的にリンクする瞬間があり、その巧みを聴取されたい。

 

「映画の進行中に、演技がいいとか、撮影がいい、音楽が素晴らしいなどと言ったら、もはやその映画は失敗したのも同然。映画はもう役立たずだ。重要なのは自分の感情を高め続けることなんだ」(フランケンハイマー)

 

優れた映画には独特の脈動がある。それは物語が明るい、暗いといったこととは直接の関係はない。この脈動に触れて観客は生気づけられる。『大列車作戦』はそんな映画だ。必見。必聴。


大列車作戦
THE TRAIN

1964年 アメリカ
監督:ジョン・フランケンハイマー
出演:バート・ランカスター ポール・スコフィールド ジャンヌ・モロー ミシェル・シモン

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