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リリアーナ・カヴァーニ、36歳の快挙 ~『愛の嵐』

イマジカBSの5月。とても興味深い映画特集がずらりと並ぶが、注目は日伊国交樹立150周年記念 総力特集『イタリア名画』であろう。ラインナップは年代順に、フェデリコ・フェリーニ監督作『8 1/2』(65)、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督作『アポロンの地獄』(67)、ベルナルド・ベルトルッチ監督作『暗殺の森』(70)、ヴィットリオ・デ・シーカ監督作『ひまわり』(70)、ルキーノ・ヴィスコンティ監督作『ルートヴィヒ/神々の黄昏[復元完全版]』(72)、リリアーナ・カヴァーニ監督作『愛の嵐[最高画質版]』(74)、エットーレ・スコラ監督作『特別な一日』(77)、ダリオ・アルジェント監督作『サスペリア』(77)、ジュゼッペ・トルナトーレ監督作『鑑定士と顔のない依頼人』(2013)、パオロ・ソレンティーノ監督作『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(2013)。

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イタリアを代表する監督たちの作品を紹介するご機嫌な企画なのだが、ここでは『愛の嵐』に注目したい。本作は特集『最高画質で甦る世界の名画』の5月放送作品でもあり、5月3日(火)、8日(日)、12日(木)、25日(水)31日(火)に放送予定が組まれている。ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』(69)で共演した、ダーク・ボガードとシャーロット・ランプリング。このふたりが再びナチズムの狂気に翻弄される男女を演じた秀作だ。

 

舞台は1957年、冬の古都ウィーン。ナチス親衛隊(SS)の高級将校という過去の顔を隠し、小さな安ホテルで夜勤のフロント係(原題はIL PORTIERE DI NOTTE/THE NIGHT PORTER)をしているマックス(※1)。第二次大戦後は地下に潜り、旧ナチス党員の逃亡支援のために結成されたSSの残党組織「オデッサ」の一員となっている。夜に働くのは理由がある。光だ。私は光が眩しいんだ。こう呟くマックスは、光に対する影のような存在として日々の暮らしを立てていた。

 

その彼が務めるホテルの客として、有名な指揮者夫人がやって来る。その女こそ、かつてマックスが捕虜収容所で弄んだユダヤ人少女ルチア(※2)であった。倒錯的な性愛を餌食となり、しかしそれによって命の保証を得た少女。戦時の収容所という密室における歪んだ権力関係。それが戦後のホテルの密室で、じわじわと復元されていく怖さ。過去を告発されることを恐れながらも、ルチアへの倒錯した愛の炎が燻ぶるマックス。マックスを憎悪し恐れる一方で、体に刷り込まれた性愛を忘れることのできないルチア。理屈では説明しがたい愛憎が絡む男と女の再会によって、新たな悲劇の幕が開くこととなる。

 

※1)マクシミリアン・アルトドルファー。オーストリア人。政治に無関心であったが、37年にナチズムに感化。38年に親衛隊の精鋭として認められる。医学学校で学ぶうち大戦が勃発。ダッハウ強制収容所配属となる。(カヴァーニ・ノートより)

 

※2)ルシア・カッシーラー。収監時15歳。社会主義のユダヤ人活動家の娘。(カヴァーニ・ノートより)

 

監督はリリアーナ・カヴァーニ。1937年、北イタリア地方の生まれ。御年79歳。ドキュメンタリー作家出身。ルキーノ・ヴィスコンティの影響を色濃く受け、ヴィスコンティ同様にドイツ史に強い関心を向けながら、歴史上の人物や特殊な環境に置かれた人物を取り上げることを好む。パトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』を原作に得た『リプリーズ・ゲーム』以降はオペラの演出に没頭し、また定期的にTVドラマの演出も手掛けてきたが、監督次回作としてコピーキャット殺人を題材にしたサスペンス『生きるための死』(原題)を予定しているという。是非とも実現してもらいたいものだ。

 

本作は原作モノではなく、原案草稿をカヴァーニ、『美しき少年/エルネスト』(79/監督サルヴァトーレ・サンペリ)の脚本家バルバラ・アルベルティとアメディオ・パガーニが書き上げ、カヴァーニとイタロ・モスカーティが脚本として完成させた(モスカーティはカヴァーニの前作『ミラレパ』も共同執筆)。62年から65年にかけてカヴァーニは、イタリア国営放送RAI(Radiotelevisione Italiana=
ラディオテレヴィズィオーネ・イタリアーナ)でフリー契約のドキュメンタリー作家として15本の作品を演出。その中の『第三帝国の歴史』(63/4エピソード)『レジスタンスの女』(65)の取材の過程において、『愛の嵐』のテーマが生まれている。

 

『かつてアウシュヴィッツにいたブルジョワ女性は、夫や子供のところに戻ることができず、ひとりで生きるために家を出た。収容所で極度の残酷さを知った彼女は、正常な家庭生活を送るには余りにも人間が歪んでしまっていることを感じていたのだ。そして「犠牲者がみんな純真で潔白だなんて考えないで」と私に言った。またダッハウ強制収容所に18から21歳まで居たユダヤ女性は、毎年のバカンスをダッハウで過ごすのだと言う。でもそれがなぜだか彼女自身にも分からない。これらドストエフスキー的な女性たちが私に不安を与え、それが「愛の嵐」のヒロインを描く萌芽となった』(カヴァーニ)

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『愛の嵐』以降は日本でもカヴァーニ監督作品が紹介されるようになったが、それ以前のフィルモグラフィティが興味深い。最初の長編劇映画は『アッシジのフランチェスコ』(66/原題)。正確にはRAIのTVドラマと製作され、劇場公開に至った作品である。ここでカヴァーニは、聖フランチェスコを既成の社会体制と価値観から離脱したヒッピー的存在として捉え、教会の命令体系を否定し続けた人間として描いてみせた(89年にはミッキー・ローク主演『フランチェスコ』を監督/180度趣が異なる)。また68年監督作『ガリレオ』(2009年にイタリア文化会館で限定公開)では、科学的に実証された事実を教会権力が撤回させた汚点を世に示した。

 

こうした作品はカトリック教会との衝突を生み出したが、ここにドキュメンタリー作家であったカヴァーニの姿勢が見て取れよう。検閲との戦いに明け暮れたRAI時代。培った反権力の姿勢。とりわけ60年代後半の監督初期作には、反体制運動の影響が強く感じられる。『愛の嵐』は性という観点からナチズムを捉え、性描写のタブーに挑戦した作品でもあるが、ここでも教会権力の壁が立ちはだかった(上映阻止運動に発展)。さらには検閲委員会の執拗な攻撃(セックス・シーンの編集・カット)に晒されることになる。

 

特殊な状況下の人間関係。性的倒錯。濃密なデカダンス。硬直した既成概念への抵抗。これらはカヴァーニ作品を語る重要なキーワードである。公開時にはセンセーショナルな内容がひとり歩きした感のある『愛の嵐』だが、一方で古典文学や演劇との深い親和性というキーワードを内包していることも忘れてはならない。これはカヴァーニの作品全般にみられる傾向であり、ボローニャ大学在学中に古典文学とラテン語を専攻、言語学の博士号を修得したカヴァーニの嗜好が表れているとみるべきだろう。

 

『愛の嵐』の音楽は、前作『ミラレパ』(73/公開は『愛の嵐』の後)に続いてダニエレ・パリスを起用。ボローニャ大学時代の講師でもあったパリスは映画音楽家としては寡作家であるが、濃密でニューロティックな調べを特徴とする。ここではオーボエを軸とした木管楽器の質感が立つ頽廃的なメインテーマ、センチメントなピアノによるセカンドテーマが印象的だ。さらにギリシア神話に基づくオペラ/クリストフ・ヴィリバルト・グルック作曲『オルフェオとエウリディーチェ』(ウィーン版ではなくパリ版というのが興味深い)、モーツァルトの『魔笛』(『恋を知るほどの殿方たちは』『なんという不思議な笛の音だ』『私のタミーノ!おお、何という幸福!』)、マレーネ・ディートリッヒの十八番でフレデリック・ホレンダー作曲の『何か望みを聞かれたら』の扱い方が際立っている。

 

なかでも『魔笛』は劇中で多用され、映画の重要なモチーフとしての役目を果たしている。『魔笛』が内包するテーマは、対立、争いから調和、平和へと向かう人間への賛歌だ。「人間は強くない」「その人間には男と女がいて、共に生きていく事こそ意味がある」と語りかけながら。そしてそれは、スピリチュアルな人生の旅路を意味している。

 

甘美な恋の情けを、共に味わうのは女のつとめ。恋の喜びを味わおう、ただ恋によって生きましょう。恋はあらゆる苦しみを鎮め、生あるものは恋にすべてを捧げます。女と男より気高いものはない。男と女、女と男、ふたりは神に届くのです。男女二重唱『恋を知るほどの殿方たちは』はこう歌いあげるわけだが、ここにみる男女の純粋な愛を倒錯的な性を媒介とした愛に忍ばせたあたり、カヴァーニ演出の熟成を感じられたい。

 

束縛からの自己解放。これは『愛の嵐』を挟むように製作された『ミラレパ』や、『ルー・サロメ/善悪の彼岸』(77)に共通する作品テーマとなっている。『ミラレパ』の主人公は修行のために家族を捨て、『愛の嵐』のルチアは夫との生活を捨て頽廃的な愛の道を選び、『ルー・サロメ/善悪の彼岸』のニーチェは妹との近親相姦的な関係を断ち切り、家を捨てて人生を再出発させるのだ。80年代に撮り上げた『愛の謝肉祭』(82)『卍/ベルリン・アフェア』(85)においてもテーマ性は引き継がれているが、カヴァーニ美学が隅々まで感じられる70年代の3作品には残念ながら及ばない。

 

『魔笛』のテーマ性を血肉化ために設定されたのが、忘れ難い収容所内での音楽会のシーンである。ルチアが上半身を露わにした軍服姿で、高級将校たちの前で歌うのが、前述した『何か望みを聞かれたら』だ。

 

何が欲しいと聞かれれば、分らないと答えるだけ。良いときもあれば、悪いときもあるから。何が欲しいと聞かれれば、小さな幸せとでも言っておくわ。だってもし幸せ過ぎたら、悲しい昔が恋しくなってしまうから。

 

こう歌ったルチアへの褒美として、マックスはあるプレゼントを差し出す。ここではオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(※3)のエピソードが引用することによって、マックスの常軌を逸した振る舞いを際立たせ、頽廃の極みを浮き彫りにしたのだ。ここでカヴァーニはルチア=サロメに対する視線を戯曲ではなく、新約聖書の福音書に伝わるあどけない少女の姿に向けている。これによりマックスの異常性がより強く押し出されることになった。同時に収容所における言葉の意味を超えて響く声、楽曲、効果音が、作品テーマを増幅するさまざまな仕掛けとなっている点も聴き逃さぬように。

 

※3) カヴァーニによれば、戯曲を元に独訳され、リヒャルト・シュトラウスが作曲した1幕のドイツオペラから想を得たという。

 

今回の放送は[最高画質版]の冠が眩しく、マスターの出来映えが素晴らしい。仏ワイルド・サイド・フィルム社が配給、2012年にフランスで限定公開された上映マスターは、グリニッシュな(青緑系色が強い)色合いの画調であったが、今回使用されるマスターは緑系の色調が和らげられている。興味深いことに『愛の嵐』の最終プリントはニューヨークのテクニカラー・ラボで現像されており、本マスターはその現像データを元にテクニカラー・ローマでカラーグレーディングされたものだ。カラリストは『M:I:Ⅲ』などのカラータイマーを務め、現在ではDIカラリストとして活躍しているマッシモ・グビネッリ。監修にはカヴァーニ自らが立ち会っている。

 

撮影はアルフィオ・コンチーニ。『女性上位時代』(68)『恋人泥棒』(68)『結婚宣言』(70)といったコメディ作品で陽光の扱いにいい味を出してきた撮影監督だが、ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』(70)でより密度の高いライティングを印象づけた。しかし『愛の嵐』では、それまでの作品と一線を画す映像デザインが施されているのがわかる。

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『作品の性質、テーマ性を生かすため、冷たいグレーとブルーとグリーンを基調とした単彩画に近いトーンにした。モノクロームの撮影手法でカラー映画を撮る感覚だ。こうしたトーンはマックスとルチアの精神の崩壊を表わしている。リリアーナと共に参考にしたのは、グスタフ・クリムトやその弟子であるエゴン・シーレの絵画だ。クリムトの婦人画とシャーロットを収めたショットは共通点が多い。ドイツ表現主義の画家エドヴァルド・ムンクの寒色の配色法も参考にしたが、いずれも共通するのは死のイメージだ。現像で粒子を少し強調してみたのも、こうした絵画を意識したからだ』(コンチーニ)

 

ロー・ライトレベルの光彩と冷徹な色彩を蘇生し、沈鬱で官能的なカヴァーニ美学をここに刻印する。抑制された声の映画ながら、その響きの浸透力に誰もが息を呑もう。この絵作り、音作りの妙は、今回放送のマスターでないと味わえない。しかし[最高画質版]から見えてくる真の凄みは、フランコ・アルカッリの編集にある。前述の『砂丘』や『さすらいの二人』(75)でアントニオーニと組み、ベルトルッチの『暗殺の森』(イタリア映画特集で放送)『ラストタンゴ・イン・パリ』(72)『1900年』(76)も彼の仕事だ。

 

膨大な素材をさばき切った超大作『1900年』も凄いが、『愛の嵐』と共に性描写のタブーに挑戦した『ラストタンゴ・イン・パリ』を同時期に手掛けているのも興味深く、今回を機に是非とも再見されたい(脚本も共同執筆)。また『世にも怪奇な物語』(67/ルイ・マル監督の第二話『影を殺した男』)、ジュリオ・クエスティの『情無用のジャンゴ』(66)、イェジー・カヴァレロヴィチの『マッダレーナ』(71)、ヴィットリオ・デ・シーカの遺作『旅路』(74)も忘れ難い。78年に48歳の若さで他界。遺作はカヴァーニの『ルー・サロメ/善悪の彼岸』。彼が育て上げた編集者には、『ラスト・エンペラー』(87)でオスカー編集賞を獲得したガブリエラ・クリスティアーニがいる。

 

『愛の嵐』に流れる濃密な時空間。その構成の妙。とりわけミステリアスな時間を創り上げる「間」の取り方が絶品だ。『かつてネオレアリズモは現実を全体として観察した。もちろん不可解なものとしてではなく、逃れようもなく今そこに在るものとしてだ』と語るアルカッリは、『その場に在る実体や空気感を、できるだけ編集で操作しないように心掛けた。回転ブランコに乗る子供たちを銃撃するショットと、生き残ったルチアを執拗にマックスが8mmカメラに収めるショットは、リリアーナの演出意図としてクロスカッティングした。しかし過去の残虐性より、収容所の現実の異様さや緊張を高めるようにした』のだという。

 

のちにジェーン・カンピオンやキャスリン・ビグローに、「健全」を編集室で切り捨てる手本を示したアルカッリの手さばきの見事なこと。『愛の嵐』が魅せる演出、演技、ビジュアル、サウンド、そしてカッティングの至芸によって、家庭劇場は背筋が凍るほどの虚しさの詰まった愛を突きつける場所と化す。比類のないリアリズムで男と女の心理を描き切ったリリアーナ・カヴァーニ、36歳の快挙であった。必見。必聴。


愛の嵐
IL PORTIERE DI NOTTE (THE NIGHT PORTER)

1974年 イタリア
監督:リリアーナ・カヴァーニ
出演:ダーク・ボガード、シャーロット・ランプリング

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©lotar – istituto luce Cinecittà 1974