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クエイ兄弟との週末 DAY 1

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忘れないうちに書いておこうと思う。書いたことがあればそこをヒントに書いてないことまで思い出せるのだが、何も書かなければそんな出来事があったことすらきれいサッパリ忘れてしまうからだ。

 

DAY 1 (いや、もうNIGHTだったけど)

 

金曜の夜7時。彼らが泊まっていた目白のホテルのロビーにデザイナーの塚本陽(きよし)さんと、今晩の夕食会をセッティングしてくださったイデッフの柴田勢津子さんを待つ。柴田さんは今回の『クエイ兄弟 ーファントム・ミュージアムー』展では「企画協力」とクレジットされているが、実際はかなりの部分を担当されたキーパースンの一人であり、来日中の兄弟のアテンドもずーっとされている。

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ところが柴田さんよりも先に、大柄の金髪のおじさん二人が外から現れた。「ああ、君たちセツコの……」とにこやかに問われ「そうですそうです」。作品世界とはまったく違って、陽気でフレンドリーな感じ。実はそのロビーにはもう一人、別の男性が座っていたのだが、兄弟はそちらの人とは旧知の知り合いのようで、いきなり熱いハグを交わしている。彼は韓国のキム・ウーチャンさんといい、兄弟がアニメーションで使っている人形のアーマチュア(可動式の金属製の骨組み)を作るプロフェッショナルである。後から聞いた話だけど、ご夫婦でどこか旅行に行きたいねなんて話をしていたら、先週になってクエイ兄弟から「来週、日本に行くよ」という知らせを受けて、じゃあ、日本に行こう、と急遽やってきたということだ。

 

兄弟のうちの一人(それがお兄さんのスティーヴンの方だったと、今だから分かるが、もちろん、その時はどっちがどっちだか、である)は荷物を取りにか置きにかいったん部屋に戻られたので、その間もう一人の方(これも後で弟のティモシー=「ティム」だったと知る)に僕がこのディスクのディレクターのヤスシで、こちらがデザインをやったキヨシですと自己紹介しつつ(そう、かれこれ20年くらい一緒に仕事をしている僕らは「やすきよ」コンビなのである)、出来たばかりのBlu-ray『ブラザーズ・クエイ短編作品集』を差し上げる。

 

彼は「なんだコレ?」という感じで凝視。一瞬、「ヤベ、マズったか?」と焦ったが、表面のステッカーを指して「このシールは剥げるんだよね?」と言うので、「剥げます剥げます」と、あらかじめ剥がしてあった本体だけのものを渡すと、「Uh…Amazing…」と小声でつぶやき、しばらく矯めつ眇めつした後、ケースを開ける。これから買う人のために詳細は伏せておくけれども、ブックレットの表紙もレーベルも彼らの作品のビジュアルからダイレクトに引用したものでデザインした。それを見て、ここでも溜息の漏れるような感じで「Beautiful…」と言ってくれる。

 

「ブックレットはマイケル・ブルックさんが書いた『クエイ兄弟辞典』を翻訳して載せました。敢えてものすごく薄い紙を使ってます」と説明すると、ウンウンと頷いてくれ、ページを一枚ずつ丁寧にめくり始める。なにしろテキストの量がハンパないので、ブックレットに使ったビジュアルはごく限られたものだが、その選択と配置にいちいち「あぁ…」と声を漏らしてくれる。そして、エレベーターからお兄さんのスティーヴンが戻って来るや否や「おいおい、これ見ろよ!」とパッケージを差し出す。スティーヴンは手元を見るためのメガネを取り出し、こちらも「Wow…」と小声で喜んでくれる。

 

僕はキヨシと二人で「はあ~、良かったあ~」と大きな声を上げて文字通り胸をなで下ろした。「何だよこのデザイン、誰がOK出したんだあ!?」みたいな反応をされることだって、まったくないとは限らないと思っていたのである。

 

疑問に思われる方もあろうかと思う。ジャケットのデザインを発売する前に作家本人、あるいは映画製作の関係者が見ていない、ということがあるのかと。あるのである。というか、その場合がほとんどだ。作品が初めて劇場で公開される時のポスターとかそういうものはもちろん、彼らの厳しい口出しもあるだろうが(しかし必ずしも彼らの希望が叶えられるとは限らない。興行的、宣伝的な判断にはまた別の力が大きくはたらくからだ)、DVDやBlu-rayになる頃には完全に彼らのコントロールの範囲からこぼれ落ちている。もちろん、僕たちメーカーは発売前にジャケットとレーベルのデザインを必ず権利者に提出し、「これで良し」というアプルーバルを得るまで修正作業を繰り返す。しかし権利元がチェックするのは、タイトルやマルシー、表記の必要なスタッフやキャストの名前がきちんと入っているかどうか(文字の大きさは契約の規定どおりになっているか)、スペルに間違いはないかといったことであり、デザインに関して何かを言われる、ということは自分の経験では9割5分、ない。なので今回も権利元のチェックは終わっていたが(その担当者も「素晴らしい」とは言ってくれていたけれど)、兄弟が見ていないだろうことは分かっていた。

 

僕がCinefil ImagicaのDVDやBlu-rayにかかわるようになった10年ちょっと前からは、特に頻繁にキヨシ(いつもはそんな呼び方はしていないのだが、この文章ではそうさせてもらいたくなる強い理由が後で出てくる)と組むことを望み、Blu-rayの時代になってからは『バグダッド・カフェ』以外の全ては僕と彼のコンビで作ってきた(『バグダッド・カフェ』は劇場再公開もあったので、そっちのビジュアルをやられたデザイナーさんにお願いしたのだ)。シンプルを是とする僕たちは、映画作品のたいていの場合、印象的な劇中のカット、あるいはスチル写真一点と、タイトルやメイン・スタッフやキャストのロゴタイプを如何にかっこよく組み合わせるかということを模索しながらやってきた。しかし、クエイ兄弟のこれはいろんな作品の入った短編集なのでまた別のアプローチが必要であり、またキヨシにも何かいつもと違うことをやってみたいという気持ちがあり、ああでもない、こうでもないと二人で議論しながら仕上げていった。自分たちとしてはいつも以上に思い入れのあるものになったものの、これが果たして筋金入りの、しかもかなりクセのある「アーティスト」であるお二人のお眼鏡にかなうのか、という不安が今日まであったのだ。そもそも彼らに直に会える機会が得られるとも思っていなかったのが、せっかくセッティングしてくださったのだから、これはもう目の前で審判を仰ごうぜ、という気持ちでやって来ていたのである。それがどうやら、及第点はもらったらしい、ということが分かって、もうこれで帰ってもいいや、というくらいの安堵感であった。しかし、もちろん、これで終わりではない。

 

セツコさんも現れ、またウーチャンさんの奥様も現れ、みんなでぞろぞろと近くの韓国料理店を目指す。兄弟はとにかく歩くのが好きだそうで、今日も品川~銀座間を片道1時間半、往復3時間かけて歩いたという。スティーヴンはキム夫妻と、ティムは引き続き僕らと話しながら歩く。

 

「ツァイトガイスト(米国での彼らのBlu-rayの発売元)のジャケット見たかい?」

「見ました」

「アレはコレだよ!」(と首チョンパをしながらグエ~ッと舌を出すポーズ)

 

ね? 米国版も本人たちのチェックはなしでリリースされていたわけだ。そして、ああ~、やっぱり本人もそう思ってたんだ……メチャクチャ悪いってワケでもないけど、なんとも野暮ったいなあ、とは僕たちも感じていたのだ(それでも今回、日本版を突貫で作る必要があり、各工程の担当者の参考用に3枚も購入したから、まあ悪口も許してもらおう)。

 

「キヨシ、これ作るのにどれくらいかかった?」

「んー、1週間くらいですかね」

「キヨシが今回のデザインのプロセスをGIFアニメにしたのがあるんです」

「何!? 見たい見たい」

 

キヨシがiPhoneで再生し始めるやいなや、ティムは前を歩いていたスティーヴンを大声で呼ぶ。

 

「クエイ!」

 

そう、あとでだんだん分かってきたのだが、彼らはお互いをファースト・ネームでは呼ばない。「クエイ」と呼ぶのである。

 

「これ見ろよ!」

「ワーオ」

 

なんだコレ(笑)。このジャケ、メチャクチャ気に入られてるじゃん! やすきよコンビは彼らと歩きながら、胸の中でガッツポーズを100回くらいキメている。

 

「お二人はずーっと一緒に暮らしてらっしゃるんですか?」

 

総勢7名で韓国料理店の円卓に陣取って、僕はティムの左隣に座っていた。

 

「生まれてこの方、2週間と離れていたことはないんだ」

「僕にも兄弟はいますけど、2週間一緒にいるのだって無理ですね」とキヨシ。

 

「あなたたちが住んでるのはロンドンの中心部?」

「そうだね。ナショナル・フィルム・シアター(東京で言うところのフィルムセンター、パリで言うところのシネマテークのような施設。現在は「BFIサウスバンク」と名称が変わっている)まで歩いて15分くらいのところだよ」

「あそこはいいですよね。僕が行った時は70mm特集をやっていて、『エイリアン』を見ました」

「いつごろの話?」

「もう20数年前。その年、僕は妻と10カ月旅行してたんです」

「10カ月も? どこを?」

「世界一周なんですが、韓国のソウルから始まって香港、インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、ネパール、パキスタン、トルコ、ギリシャ、そしてイギリスに行ってその後はヨーロッパ、アフリカ……」

「わーお。何カ国?」

「23~4といったところでしょうか。最後は南米に行ってブラジル、アルゼンチン……」

「タンゴ! 日本人はタンゴが好きだって聞いたんだけど本当?」

「そうですね。たぶん、あのメランコリックだったり、センチメンタルだったりする感じが合ってるんじゃないでしょうか? お好きですか?」

「大好きだよ。アストル・ピアソラに、*@¥%$#……」

「?」

 

僕が聞き取れないのを察知して、彼は鞄から紙きれとペンを取り出し、”Osvaldo Pugliese”と書く。

 

「あー、オズバルド・プグリエーセ! 僕、ブエノスで見ましたよ」

「クエイ! この曲って誰だったっけ?」

 

ティムはスティーヴンに向かってフレーズを口ずさむ。

 

「アニバル・トロイロ」

「あー、そうだった」

 

ティムはメモにその名前を書き、さらにオラシオ・サルガンの名前も書き込む。おいおい、こりゃ相当なタンゴ好きだぞ。まさか、いきなりクエイ兄弟との会話がタンゴで始まるとは。僕もけっこう好きだけど、キヨシはかつてピアソラ狂だった時代があって、ピアソラだけでCDを100枚くらい持ってるはずだ。

 

「あなたたちは前衛的な音楽しか聴かないのかと思ってましたよ。作品で使ってたシュトックハウゼンみたいな」

「それ『も』聴く(笑)」

 

スティーヴンはタンゴのCDならこれくらいはあるよと、両手を左右に大きく拡げる。

 

「僕とキヨシは前に、フェルナンド・E・ソラナス監督とピアソラが組んだ三部作のDVDボックスを作ったことがありましてね。これがなかなか美しい箱なんです」

 

キヨシがiPhoneで自分のTumblr.ページのポートフォリオの中からその写真を探そうとするが、電波の状況が悪いのか、なかなか出てこない。

 

「Wait a moment!」

 

やっとのことで出てきたジャケットを見せると、

 

「あー、『タンゴ ガルデルの亡命』ね!」

「その次の『スール…その先は愛』もいいんですよ」

 

と、僕は劇中でロベルト・ゴジェネチェが歌い、後にブラジルのカエターノ・ヴェローゾもカバーした「南へ帰る」のメロディを歌う。ティムは「コイツぅ(苦笑)」という感じで肩を叩いてくる。なかなかいい感じである。

 

卓にビールが行き渡る。ティムは迷わず

 

「タンゴに!」

 

と発声し、我々は杯を交わす。

 

先に僕はティムの左隣に座ったと書いた。円卓なのでこういうことになってしまったのだが、実は僕は右耳がほとんで聞こえないのでポジション的にはなかなか苦しく、何か話したり聞いたりする時は常にティムの方をまっすぐに見て、左耳で音を収集するようにしていた。まあ、僕の日常ではよくある光景である。謝罪会見の議員や知事のように左耳に手を当ててより集音力を上げようとすることもまったくいつもの行動だ。迷惑なんだよな、ああいう偽物に真似されると。ところが、こうしたことも、面白い話を引き出すきっかけにはなる。

 

「すみませんね。僕は右の耳が聞こえなくて」

「気づいてたよ。というのは『ベンヤメンタ学院』や『ピアノ・チューナー・オブ・アースクエイク』の撮影監督をやったニック・ノウランドという人がいるんだけど、彼も片耳が聞こえなくて、左耳にテープで大きなバッテンを貼ってたんだ。『こっちは聞こえませんよ』というサインとしてね」

 

スティーヴンが付け加える。

 

「それどころか、彼は右耳にもバッテンを貼りだした。つまり、誰の言うことにも『聞く耳は持たない』ってわけ(笑)」

 

ナムルやチヂミが運ばれてくる。キヨシは食べることが大好きで、たいていの場合、何を食べても、いかにも美味そうに「ウ~ン、ウマい!」と首をくねらせながら歓喜の声を上げる。その様子がクエイ兄弟のツボにはまったようで、「キヨシ!」「キヨシ!」と大笑いしている。

 

そのキヨシは古いフィルム・カメラの愛好家でもあり、今日はドイツはイハゲー社の戦前のエクサクタ(エキザクタともよく書かれる)を持って来ていた。きっと兄弟はこういうオールドタイムのマシンは嫌いでないに違いない、とは思っていたが(ティムのしている腕時計はとても古そうな、美しいものだった)、案の定食らいつき、しきりにいじくり廻している。「どんどん撮っちゃってください」というキヨシの言葉に彼らも遠慮することなく、シャッターを切り始める(果たしてどんなものが撮れてるか、現像が終わったらいずれ開陳したい)。

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「でも、あなたたちも映像の方はデジタルに移行しちゃいましたよね」とティムに水を向けると、「うん、でも、この間、クリストファー・ノーランが来て、僕たちを35mmで撮ってくれたよ」と返してくる。

 

もちろん知っている。米国版のBlu-rayに収録されていたその8分のドキュメンタリー『Quay』を、僕らも日本版に収録すべく、ギリギリまで交渉していたのだ。最後には仲介の弁護士が来年夏公開の新作戦争映画『Dunkirk』の撮影現場にいるノーラン本人にまで確認を取りに行ってくれたのだが、なんと答えは「残念ながらこの契約は結べない」の一言だった。こちらの提示した金額が足りなかったのか(だったら、「いくらなら」という話になるものだが、それはなかった)。前述の米国版の発売元ツァイトガイストに対して、ノーラン側に何か気に染まないことがあったという情報も漏れ聞いているので、そうした要素も働いているのかもしれない。実は収録できる前提で、既に字幕の翻訳は始めていたし、ノーランが書いたライナーノーツの翻訳も終わらせていただけに、この空振りはとても残念だった。

 

「きっと新作で忙しくて、こっちにまで気が回らなかったんじゃないかな」とティムは慰めてくれるのだが。

 

 

「あなたたちが最初に見た映画って何ですか?」

「一番最初ってことになるとウォルト・ディズニーの何かだろうと思うけど、記憶に残ってるのはイングマール・ベルイマンの『道化師の夜』(1953)と『仮面/ペルソナ』(1966)の二本立てだね」

「それはいくつの時?」

「4歳」

「ええっ?」

 

と、その時は驚いたのだが、後からよく考えると、二人は1947年生まれだから4歳の時にはまだどちらも公開されてないわけで、何かの記憶とすり替わっているのかもしれない(「4歳でベルイマン!?」と確認したし、ベルイマンの作品名もiPhoneの画面上のフィルモグラフィーで指さしてもらったから、それは間違っていないのだが)。

 

「ヤスシ、君の最初に印象に残ってる映画はなんだい?」

「母親と一緒に行った『ジョーズ』ですね」

「『ジョーズ』かあ」

 

君は若いんだなあ、という感じでティムが笑う。

 

「その『ジョーズ』の時には、バスター・キートンの短編が頭に付いてたんです。やっぱり海を舞台にしたもので、タイトルは覚えてないんだけど」

「キートンの海もの……クエイ、なんだろう」

「うーんとね……」

 

と二人は数あるキートンの短編を頭の中で総ざらえし始めた。正直、こんなに映画に通じている人たちだとはまったく思っていなかったから、驚くと同時に、嬉しくて堪らない。まあ、キートンの答えは結局、出なかったんだけど。

 

「でも、僕も最初の最初の映画となると、父と行った『ゴジラ』ってことになるんです」

「『ゴジラ』! 最初の?」

「いやいや、もっと後年の、子ども向けのシリーズになっていた頃のヤツで、まあ今思うと、けっこう馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいんですが(笑)、『ゴジラの息子』ってタイトルで……」

「(笑)」

 

作品を見ればさもありなん、という感じではあるが、クエイ兄弟はオートマトン=自動機械に対する興味が人一倍強い。

 

「ニュースで、東京にオートマトンが受付をやってるデパートがあるって言ってたんだけど、どこだろう? 行ってみたいんだけど」

 

日本にいる僕らは「そんなのあったっけ?」という感じで首をかしげるのだが、キヨシが一生懸命、iPhoneで検索をかける。

 

「Wait a moment!」

 

今日何度目かの「Wait a moment!」がまた兄弟のツボにハマり、二人で「Wait a moment!」と言い合って笑っている。今夜はキヨシの舞台だ(笑)。

 

確かにそのデパートは存在し、スティーヴンは小さなメモ帳にそれを書き留める。彼はとにかくありとあらゆることを自分でメモするか、そばにいた誰かに書いてもらう。興味の幅の広さ、深さ……やはりアーティストという人種はそうなんだろうなあ、と思う。そしてこの飽くなき探求心が彼らを実年齢のようには見せない秘密なのだろう。

 

キヨシは引き続き、江戸時代のオートマトン=お茶を運ぶからくり人形の動画をYouTubeで探し、彼らに見せる。「あー、これ知ってる!」と兄弟は大興奮である。

 

「あなたたちが酔っ払う前に、ひとつお願いがあるんですが、いくつかサインをいただけませんか?」

「いいとも」

 

関係者や購入者へのプレゼント用に、Blu-rayのジャケットやブックレット、そしてジャケットのデザインを拡大印刷したポスターなどを持参してきていた。せっかく兄弟に書いてもらうのだからと、ブックレット用には鉛筆を(というのはブックレットの表紙には彼らの作品『不在』でフィーチャーされたアウトサイダー・アーティスト(と言っていいかどうか)、エマ・ハウクの鉛筆による手紙をあしらったから)、そして他のものにはキヨシが世界堂で買って来たパイロット製のカリグラフィー用のペンを用意した。兄弟はさっそくこのペンにも「おお、なんだコレ!」と食いついてくるので、そのまま進呈、彼らは後日、文房具屋さんで似たようなものを購入していったらしい。

IMG_4562 サインをするのはティムだけである。

 

「サインはあなたの担当?」

「いや、そういうわけじゃないんだ」

 

どうやら、その時々でどっちかが何かをやる、となったら、もう一人はそれをやらない、という暗黙のルールがあるようなのだ。翌日の神奈川県立美術館でのサイン会でも、一人の相手に対して兄弟の両方がサインする、という図は一度もなかった。夥しい数の希望者を二人で手分けして手際よくこなし、もう一人の兄弟の分も含めて「Q」の字を二つ書いていたのだった。

 

さて、7時すぎに始まったこの集まりもそろそろ10時。実はクエイ兄弟には行きたいお店があり、その店が開くのが10時なのである。おいしい料理にお礼を言いつつ店を後にし、7人の団体は2台のタクシーに分乗し、新宿はゴールデン街を目指す。

 

敢えて店名を書くのはやめておくが、ゴールデン街にはヨーロッパ映画人が好んで来たがるお店が一軒あり(同地の他のお店と同様、ものすごく小さなバーだ)、兄弟も誰かからその店の存在を聞いていたのだろう。来日する前から、どうしてもそこにだけは行ってみたいと柴田さんに言っていたらしい。前の店の終盤、柴田さんがそのお店に電話すると、店主はクエイ兄弟の存在も、明日から葉山で展覧会があることも知っており、どうぞいらっしゃいと言ってくれたので、これ幸いとはせ参じた。我々7人がテーブルを占拠すれば、あとはカウンターに4~5席が残るだけである。店の名前はフランスのとある監督の1960年代の作品の題名が付けられており、その監督も生きている時はよく訪れていたお店。壁にはヴィム・ヴェンダースのサイン入りの写真が飾られているし、コッポラも来たことがあるらしい。

 

兄弟はまずゴチャゴチャと飲み屋が建ち並ぶゴールデン街そのものの佇まいに大いにワクワクし、狭い階段を上って入ったその店の映画ポスターやネコ・グッズに溢れたムードも大いに喜んだ。そして店主に向かって、その店主が得意とするフランス語で流ちょうに、店名の由来となった作品を撮った監督の在りし日のことをこと細かに問いただすのだった。ちなみにティムもスティーヴンも先の韓国料理屋ではビールを飲み続けていたが(スーパードライよりはプレモルの方が好みだと言っていた。まあ、ヨーロッパ人なら、それはそうだろう)、ここに来て、ティムはスコッチ・ウイスキーにシフトした。

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柴田さんは明日は展覧会のオープニングであり、兄弟を葉山まで連れて行く任務があるので、ここで退散。兄弟とウーチャン夫妻をホテルまでのタクシーに乗せる責任は僕が引き受けた。しかし、兄弟だって、明日の朝10時から、展覧会場で公開制作をする身だから、あんまり深酒をさせるわけにもいかない。

 

もうこちらも大概酔っ払っていたので、この店で話したことをあまり覚えていないのだが、韓国のウーチャン夫妻と、クエイ兄弟へのお勧めの韓国映画を挙げていったような気がする。ウーチャンさんたちはキム・ギドクやポン・ジュノを挙げ、僕は強くイ・チャンドンを推した。それら監督名や作品名をスティーヴンの例のメモ帳に、ウーチャンさんの奥さんが丁寧に書き入れていった。

 

時計も12時を周りお開き。靖国通りに出て、クエイ兄弟とウーチャン夫妻を一台のタクシーに乗せ(クエイは目白、ウーチャンは池袋と同方向だったのだ)、じゃあ、また明日会おうね、と別れる。

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僕とキヨシはまだ終電のある地下鉄駅に向かって早足で歩く。なんだか、今日、起こったことが信じられないで、その足が宙に浮いてるみたいだ。自分たちが作ったジャケットをこんなに気に入ってもらえて、5時間の間に、なんだか友だちのように話していた。あのクエイ兄弟と。四半世紀前に、小さな劇場のスクリーンの前で「カッコエエー!」と唸らされた作品の作者である、あの、ブラザース・クエイと。

 

「人生最良の日ですよ」とキヨシが呟く。

 

うん、確かにそうだ。

 

*Day 2につづきます。

 

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発売になりました!

 

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